旅の思想―日本思想における「存在」の問題

旅の思想―日本思想における「存在」の問題

 旅は好きか嫌いかで聞かれれば大抵の人は好きと答えるのではないか。しかし、本書によると古代日本人にとっては旅とは苦であったことになる。我の存在を確立させる汝との別れ、それが旅の本質である。つまり、旅という別れにおいて、汝を失うことで自己の存在にゆらぎが生じる。昔の旅といえば、生死をかけたものである。二度と汝のいる家に戻れないかもしれない、と考えると確かに不安に襲われるだろう。
 一方、現代はどうであろうか。確かに現代でも危険な旅は存在する。しかし、我々の多くが「旅」もしくは「旅行」と呼ぶものは、そのような危険性を伴わないし、期間も短い。それどころか、友人や家族との旅行においては汝を失うことすらありえない。我と汝をつなぐ「場所」が変わることによって、そこに新たな我と汝の関係が生まれるともいえるだろう。また、所謂一人旅に関しては、その動機はたいてい汝を失ったというものであり、旅をするということ自体に汝の消失、及び自己の存在のゆらぎは生まれない。
 その点に留意すると、古代日本人の旅の異様さが浮かび上がってくる。